「L」②「L...ある男の手記」(短編)
①は↓
“L”…"Link"…"Lost"
此処に、私の手記を残す。
この手記が、いかなる方法で現世に伝わるのか、そもそも本当に伝わるのかはわからない。
ただ、書かなければならないと感じた。
私は死んだ。大病でも事故でもなく、天寿を全うした。
悲しくはなかった。やり残したこともなかった。幸せに生きた。はずだった。
私は死んで、そしてその瞬間にあらゆることを思い出し、あらゆることを知った。
それはあまりにも、衝撃的なものだった。
私は長く生きた。長く生きることは当然、幸せなことだと思っていた。
私が人生に求めたのは平凡な幸せだった。
徴兵を免れ、戦禍を逃れた。妻と出会い、娘に恵まれた。高度成長期の中で働いた。
趣味の俳句では人を指導するまでになった。平凡に生き、そして死んだ。
私は人生で、たくさんのものを得た。
そしていつのまにか、たくさんのものを、失っていた。
妻は早くに旅立ち、いつからか住み着いていた猫も、死期を悟りどこかへ行った。
私は一人、生きていた。
まずそこに、記憶の齟齬があった。私はひとり、あの家で、娘と、妻と猫と過ごしたあの家で、生涯を終えたのだと思っていた。違った。私は数年前から施設に入っていた。
もう、あの家はなかった。跡形も、残ってはいなかった。
認知症の進んだ私を心配してのことだった。息子が決めたらしかった。
そう、私には息子がいた。そのことを、あろうことかその事実を忘れていた。
施設で過ごしていた私は、何もかもを忘れていた。
息子がいたことも、娘に子供が4人いたことも、その子たちの名前も。
娘は、年に数回、施設を訪れてくれた。
夫と、時には四女を連れて。
だからその三人のことだけは、定期的に思い出すことができた。
それでも。
どうして死んだ今になって思い出すのだろう。
なぜ、大切な家族の存在を忘れていた事実を知らなければならなかった。
こうして忘れてしまうものなら、何故私は求めた。
妻が先立ったことも、時には忘れかけていた。
遺された者の寂しさを忘れ果てた。
そんな私もまた、大切なものを遺してきた。
私は彼らに何をしてやれただろう。
すまない。今、思い出したんだ。
私たちが過ごしたあの家はもうない。
死後に知った事実がどうしてこれほど重いだろう。
息子が、その世話をしてくれたこと。
その息子は、私より一足早くここへ来ていたこと。
娘が、私を気遣ってそのことを知らせなかったこと。
それだけたくさんの気を遣わせて、
それだけたくさんのものを失って、
たくさんのものを忘れていた。
私は何故そんなものを求めて生きたのだろう。
子供達は巣立ち、妻は先立った。
私はひとり、寂しくない素振りをして生きていた。
そうして、大切な日々が、思い出が、大切なものが、少しずつ欠けていって、零れていって。
娘は、会う度に自分のことを忘れかけている父親を見て、何を思っただろう。
孫は、祖父に何を思っただろう。
私が、平凡ながらも必死に生きたその結果は、
求めた繋がりの忘却。
何も忘れることなく先に逝った妻は、私を見て何を思うだろう。
長寿、故の忘却。
長く生きた結果、失ったものは多かった。
何故、私は長く生きてしまったのか。
技術の進化故なのか。
人生50年であった時代に忘却など存在したのだろうか。
高度成長期を生きた私にとって、進化は正義だった。
疑問を持つ余地などなかった。
それが、今。
進化とは何か。
進化は果たして、私たち人類に何をもたらしたのか。
私は。
もう、取り戻せない。
“生まれても 死んでも一人 つくしんぼ”
(作:宮内林童)
“Lost”
③は↓