ローゼンの雑記帳

ローランにして薔薇の末裔にしてソウルメイト!の雑記!

続ブログをはじめたきっかけ。(大学院辞めたい)

こんにちは!

ローゼンです。

 

今回は、前回の、続きです!

 

前回はこちら↓

 

rosenstern.hatenablog.com

 

前回の要約としては

・なんとなく、指導法が合わなかった

・少し不信感もあった

 

です。

ゼミ終わりは毎回

家に帰ると泣いていました。

 

夏休み前最後のゼミでは

 

・全ての論文を読み

・その学説を自らの視点で分類し

・わかりやすくまとめたもの

 

を発表しなければなりませんでした。

 

そして私は自分なりにはまとめたのですが

全てとは言えませんでした。

 

いつもなら色々つっこまれたり

指示をもらったりするのですが

 

その日は先生の時間がなく

あまり大した話はできませんでした。

 

そして、

「夏休みのうちにはちゃんとまとめて」

「夏休み明けに発表」

 

と言われ、ゼミが終わりました。

久しぶりに、泣きませんでした。

 

そして夏休み。

まぁ、大して進めることはできませんでした。

 

まとめようとすると

その分類から外れてしまうものが目につく。

 

まったく分けられないものもある。

 

それでも、大まかにまとめようとしていました。

 

夏休み明け10月。

いつゼミがあるのかとびくびくしていたのですが

最初にきたメールには

 

「もうあとは修論を書いてください

 以外に指導がありません」

 

と。

「夏休み明けに発表」は

なくなってしまいました。

 

嬉しかったけど

何とも言えない気持ちに。

 

そして論文提出第1回目は11月の頭。

(最終的な提出締め切りは1月末)

 

しかし頭には出せませんでした。

 

添削をもらうための第1回だとはわかっていましたが

それにしても見せられる状況ではありませんでした。

 

11月末には出します、と期限を延ばしてもらいました。

 

そしてなんとか20ページほどを書き上げ

末に提出しました。

 

私が頑張った最後の1ヶ月でした。

 

それまで、何度も辞めたいと思いました。

それでも辞めなかったのは

 

・内定をもらっていた為、

 卒業しなければ入社できないと思っていたから

 

・卒業できれば、研究室の院卒1号になれるから

 

です。

どちらかというと前者の方が強かったです。

 

それだけをモチベーションに頑張ってきました。

 

そして

「まだ途中です」

「これから脚注も増えます」

と文言を加え、

11月30日(金)に提出。

 

"もう土日は先生からのメールは見ない!"

"論文も一切しない!"

 

と決めました。

休息が必要だと思ったのです。

 

そして、

"論文を一切しない!"

と決めた私ですが

 

何をしたらいいかわかりませんでした。

何も、思いつきませんでした。

 

それくらい、私には

"論文から解放されたい"

しかなかったのだと気付きました。

 

そして

"土日は先生からのメールは見ない!"

と決めたのにも関わらず

 

土曜日の夜に見てしまいました。

このメールで、

私の心は完全に折れました。

 

全文をそのまま載せたいくらいですが

要約すると

・夏休み終わりからほとんど進んでない

・スケジュール的に非常に厳しい

・学説・判例を並べても意味がない

・脚注が圧倒的に少ない

・集めた全ての資料は引用しなければならない

 (いらない文献などない)

・本当に危機感を持って

・今後の為に月曜か水曜に面談にくること

 (面談でまた詳しく話します)

・面談まで修正を始めなくていい訳ではない

 

 

ほとんど正論です、残念ながら。

強いて言うなら

 

「夏休み終わりから進んでない」

→目次を作って、20p文章を書いた時点で、

 論文を提出するという観点からすれば進んでる

 

「学説・判例を並べても意味がない」

→分類するには多少並べることになる

 

「脚注が少ない」

→今後増えるって書いたと思います

 

「いらない文献などない」

→いや!!読む価値ないって!!

 言いましたよね!!!!!

 

って感じですね。

あと感情的には

 

「全ての文献を引用」

→無理

 

「面談までに修正を始めなくていい訳でない」

→この土日すら休むことが許されないのか。

 

「危機感を持って」

→まだ周りは論文を書き始めてすらないのに…。

 

面談に行きたくない!!!!!

 

このメールでもだいぶ心を削られたのに

「これより詳しいこと」を言われるのに

そんな面談行ったら死ぬ。

 

つまり

「無理。」

となったのでした。

 

おわかりかはわかりませんが

夏休み最後のゼミからこの間

先生と1回も会ってないんですね。

 

会話してない。

それは心的距離が

空いてしまいますよね。

 

もう、会いたくない

会えない

と思いました。

 

添付された、添削されているであろう

wordファイルを

開くこともできませんでした。

 

その日はずっと

泣いていました。

 

1ミリも認められなかった。

 

これがあと3ヶ月続くのか。

 

「月曜も水曜も所用によりお伺いできません。

 申し訳ありません。また連絡します。」

 

という私のメールには

 

修士の学生として何を優先すべきか

 判断していただけると幸いです」

 

と返ってきました。

 

追い打ちでしかありませんでした。

 

もう無理だと思いました。

それからたくさんの

研究を辞めたい理由が溢れてきました。

 

・テーマがやりたいことじゃない

・50年ずっと議論されていて答えが出ていないところに

 私ごときが論文を出しても意味がない

 (それこそ読む価値がない)

 

・そもそも、もう条文の解釈では無理、立法すべき

 ってなってるのに、これ以上解釈することがない

 

・偉い先生方の学説を分類したって何も意味はない

 解決には繋がらない

 

・ってことを含めてこの論文は誰の為にもならない

 

・私が卒業するためでしかない

 

・そもそも卒業する意味があるのか?

 

・今すぐ辞めて、他のことをした方が有意義なのでは?

 

等々。

 

「大学院」「辞めたい」で調べました。

様々な意見が出てきます。

 

多くは

「大学院といってもそこまでは求められないから

 論文さえ出せば卒業できる」

というものです。

 

確かにそうだと思います。

ただ、私の場合は

先生が求めているクオリティがまず高すぎました。

 

他の先生は認めてくれても

研究室の先生は認めてくれない

という状況が起こりえました。

 

そして、求められたクオリティまではいかなくても

論文を提出すれば、発表すれば、

学位が認められたかもしれません。

 

ただ、あと3ヶ月を

誰のためにもならない論文を書く為に

つらい思いをして泣きながら過ごすことに

限界を感じました。

 

鬱なのかな?

鬱だったらいいな

 

と何度も思いました。

 

でも鬱じゃないんだろうな

私が弱いだけだな

 

とその度に自分を責めていました。

それもまた続く。

 

私の頭には

「無理」

という言葉しかありませんでした。

 

多分メールがきた次の日には

辞めることを決意していたと思います。

 

そしてその頃に

ブログを始めたのでした。

 

正直なぜそこに至ったのかは

悲しみのあまりよく覚えていません。

 

何かを発信したかった

何かを始めたかった

 

そしてどうせなら

何かの為になることをしたかった

 

昔、小学生〜中学生の頃

ブログをしていたことを思い出し、

 

またしたい

という気分になりました

 

そしてブログの始め方を検索し

アフィリエイトという文字を見つけた。

 

どうせやるなら、

少しでもアフィリエイトしてみようかな。

 

そしてアフィリエイトに関してはどこにも

「続けることが大事」

と書いてありました。

 

毎日最低1つ記事を書く、というのは

私には魅力的なクエストでした。

 

そして今に至ります。

 

ブログの本を読んだり

試行錯誤してみたり。

 

そして辞める手続きも少しずつ進めています。

 

今の私には、毎日、

「何かをしている」

「何かが進んでいる」

という達成感があります。

 

論文を書くのをやめて

 

ブログをはじめました。

ギターの練習も再開しました。

エクセルの勉強もしています。

 

次は何をしようか、と

毎日わくわくしています。

 

少し前よりはむしろ

学校に行けている私がいます。

 

"論文を書かなければならない"

という重石だけが常に頭の上にあり

 

"たったこれだけしかできなかった"

"集中できない私は怠惰だ"

 

としか思えなかったあの頃よりも

 

そして訳も分からず泣いていた

あの頃よりも

 

遥かに健康的で、楽しい毎日です。

 

もっと早く辞めればよかった。

と、今では思います。

 

でも辞める勇気がなかった。

まだ頑張れるかもと思った。

 

だから、よかったのかもしれません。

今回心が折れて。

 

折れてなかったら私は

私にとって意味のないことを

あと3ヶ月続けていた。

 

1年半のうちで少なくとも

私にかけてくれた先生の時間を

思いました。

 

でも、

私はお金を払っていて

先生はお金をもらっている。

 

なら、いいじゃない

と思えました。

 

私は修士の学生である前に

まず私なのです。

 

修士の学生がすべきこと、よりも

私が私の信念においてすべきこと、の方が

大事です。

 

ただ、大学院に入学したことは

後悔していません。

 

それだけは言えます。

 

大学院に入学した理由のひとつに

・好きな人が2つ下の後輩だったので

 片思いが長期戦になることを考えたら院進が丁度いいと思った。

 

というのがありました。

思ったのは6月ですが、

大学院入学直前の3月に付き合うことになりました。

 

この1年半、

もし就職していたら

こんなにふたりでゆっくり過ごすことは

できなかったでしょう。

 

私はその為だけでも、

大学院に行くことにしてよかった、

と思えます。

 

"誰かを犠牲にしたとしても 通したい想いがあった"

「愛という名の咎」/Sound Horizon アルバム『Nein』より

 

 

タイトルの(大学院辞めたい)ですが

ほぼ、「辞めた」に近いです。

 

しかし退学なんて考えたこともなかったので

初めて退学について調べたのですが

 

退学するのにも許可がいるんですね…!

 

「退学願」という書類を出して

認められて初めて退学らしいです。

 

そしてその書類には

指導教員の所見とサインがいります。

 

…なんということでしょう。

 

これが今1番の課題です。

 

私は、指導教員ともう精神的に会えない為に

退学をしたいのですから。

 

まぁ、この件に関しては

他の先生に相談しつつ

なんとかなりそうです。

 

なので成就祈願も含めて

「辞めた」!

ということにします。

 

辞めました。晴れて自由の身です。

入社まであと4ヶ月。

有意義に過ごしたいと思います。

 

長々とお付き合いくださり

ありがとうございます。

 

いつか、

大学院辞めたい人の検索に

引っかからないかなぁ、と思ったり。

 

「もし辞めたとしても

 それまで頑張ったあなたの努力は

 無駄にはならないと思います」

 

とは、相談した内定先の人事の方の言葉です。

 

つらい思いをしてまで頑張った結果

得られるものが本当に

自分にとって価値があるのか

 

辞めた場合のメリットデメリットを考えれば

答えは出るものだと思います。

 

少しずつ前向きに。

頑張っていきたいと思います。

 

それでは!

ローゼンでした!!