ローゼンの雑記帳

ローランにして薔薇の末裔にしてソウルメイト!の雑記!

「死ぬ気で自分を愛しなさい」

こんにちは!

ローゼンです。

 

「死ぬ気で」

言ってしまえばこの一言が、この本の全てのような気がする。

 

「死ぬ気で自分を愛しなさい」

 


これまで、「好きなことで生きる」とか「自己肯定感をあげる」ような本をいくつか読んできて、表現は違っても言いたいことは大体同じなんだな、と思った。

 

この本も、基本的には同じだった。けど、強いて言うなら、"死ぬ気で"だ。

 

 

本の紹介


「死ぬ気で自分を愛しなさい」

 

この本は、著者であるカマルがオリジナル版をアメリカで自費出版をしたところベストセラーとなり、その後大幅に加筆をして出版されたものである。

 

3部構成となっていて、1部では、オリジナルの増強版、自分を愛する理由とその方法について。2部では、オリジナル版の読者から寄せられた質問等から、さらにそれぞれの愛する方法について詳細に説明している。3部は、カマル自身のストーリーである。自分を愛することの素晴らしさを知っていたのに、実践を怠ってしまい、再び人生に挫折し、そこから再び自分を愛するようになるまでの物語。

 

 

自分を愛する方法


どのようにして自分を愛するのか。最も簡単で、一番最初に取り組むべきは、「私は私を愛している」と繰り返すこと。声に出せれば文句なしだが、心の中で唱えるのでもいい。ひたすら、繰り返す。

「私は私を愛している。私は私を愛している。私は私を愛している。」


他にもいくつか方法はあったが、とにかくまずはこれ、である。
「心に溝を作り、その溝を深くしていく」という表現がとてもしっくりきた。「私はだめだ」と思ってしまうのは、その溝が既に深くあるから。だから、新しい溝を作って、水がそこを流れるようにする。「私は私を愛している」何度も繰り返すことで、何度もそこを流れることで溝は深くなっていく。深くなれば、次第に、自然にそこを流れるようになる。しかし、元の溝もそう簡単には消えない。気を抜いたらまた古い溝を流れてしまう。だから、ひたすら繰り返す。新しい溝を深くするために。


本では「思考のループ」と名付けられている。

 

実践は、いつでもいい。朝、起きた時。夜、寝る前。暗い気持ちが出てきた時。むしろ思い出したら必ずやるくらいがいい。何度も何度も。

 

本当にそう思えてなくてもいい、嘘でもいい。とにかく繰り返すことが重要である。慣れてきたら、感情も合わせてみる。私は私を愛していると、本気で思ってみる。

 

私がこの本を読み始めてから、そして読み終えてから、唯一試みているトレーニングでもある。特に寝る前に心の中で唱えるのはいい感じだ。それまでは寝付けないことが多かったが、実践を始めてからは気付いたら眠れている。というのも、眠れないのは思考が飛んでしまうからなので、ひたすらひとつのことを考え続ける、というのが良い。

 

「私は私を愛している」と繰り返しているつもりが、いつの間にか別のことを考えていることもある。「私は私を愛している」と唱えながら、同時に別のことを考えていることもある。それでも、飛んでいることに気付いたら、また戻ってくればいい。「私は私を愛している」

 

効果はあるか、と聞かれるとなんとも言えないが、溝は確かにできているなとは思う。私は私を愛している、という溝が。環境や状況に対してネガティブな感情を抱くことはあるが、自分自身に対してだめだとか嫌だとかいう感情も減った気がするので、結局効果はあるんじゃないかなと思う。うん。


自分を愛している、と言い聞かせるのは、もしかしたら目新しいことではないかもしれない。他にも、自分自身の過去を許す、とか、誓う、とか。紙に書いて、声に出してみるとか、その紙を石に巻いて遠くに投げてみるとか。

 

そういうのも結局、よく本で見る方法だと思う。

 

その結果、勝手に人生が上向いてくるとか。助けてくれる人が現れるとかも、シンクロニシティも、大体同じストーリーだ。


じゃあ、この本に特徴的なことは何かな、と考えると"死ぬ気で"だったんじゃないかな、と思う。

 

 

"死ぬ気で"


普通の、自己肯定感をあげるような本では到底見ない言葉である。死ぬ気で。それは、私がずっと逃げていたいものでもある。頑張りたくない。

 

しかしこの本は「死ぬ気でやれ」と迫ってくる。最愛の人を愛するように。真剣に、本気で、自分自身を愛せ。

 

3部ではカマルの経験が語られている。彼女に振られて死ぬほど落ち込み、それから再び死ぬ気で自分を愛し始めるまで。

 

情緒的で詩的な表現も多く、わかりづらい部分もあったが、この章がある意味は、「方法を知っている著者でもこんな浮き沈みがある」ということがリアリティを持って理解できることだと思う。

 

万事順調な先生が、そのノウハウを教えてくれる、というよりは、この人も、試行錯誤しながら、転びつつも諦めずに継続して、頑張っているんだな、という感じ。

 

自分を愛しはじめれば、全てが一直線に右肩上がりになる訳ではない。
自分を愛すると前向きに誓った次の日の朝には絶望に打ちひしがれる。それでも愛することを思い出して、辞めずに、なんとか続けていく。浮き沈みを繰り返しながら少しずつ上がっていく。

 

沈む日があってもいいんだ、あるものなんだ、というのは救い。

 

ただ大事なのは続けること。それが"死ぬ気で"なんじゃないかな、と思う。がむしゃらに、とは言え、24時間ずっと、起きている間ずっと、と言う訳にはいかない。けど、とにかく1ミリでも思い出したらやる、それを毎日続ける。


最終的に私が感じたのは、何事も続けることだな、ということと、結局何かしらは頑張らないといけないんだな、ということ。

 

嫌だな、というよりは諦めがついた感じ。

 

そうか、頑張らないといけないんだ。

 

それだったらせめて。まずは。頑張ることが「自分を愛すること」ならできるかもしれないな。と。

 

 

英語と日本語の差


「私は私を愛している」と書いたが、本での正式な表記は「私はわたしを愛している」である。

しかしさらに元を辿れば、著者は英語で書いているので「I love me」である。


この本に限ったことではないが、著者が日本人でない場合、文化の差をとても感じる。アメリカでの暮らしと日本での暮らしはまるで違うので、3部のカマルの話も、なんとなく世界に入っていけないところはある。

しかし文化はともかく、今回の話に置いて言葉は重要じゃないかなと思う。

 


自分を許す、という内容のところでは、こう書いてある。

 

どの文も、「私は自分を許す」で始まり、「〜に関して」で終わる。

 

倒置法ではない、普通の英語だ。「I forgive me 〜」というだけである。しかし普通の日本語に直せば、「私は〜〜に関して自分を許す」という風になる。

 

この2つは、全体的な意味は同じでも、大きく違うように感じる。声に出す、もしくは心の中で唱えるという場面においては特に。「私は許す」とまず言ってしまうことが大切なような気がする。自分に言い聞かせているような、何かしらの強さがある。「私は愛している」も同じ。

 

例えば、友人と喧嘩別れした自分を許したい場合。

 

「私は、友人と喧嘩別れしてしまった私を…」
と言っている間に、様々な思いが浮かぶ。当時の情景。経緯。感情。自分に対するネガティブな思いどころか、友人に対しても腹が立ってくるかもしれない。

 

そのあとで「許す」と言う頃には、それはなかなか難しいような気がしているかもしれない。

 

ではなくて、「私は許す」とまず言ってしまう。そこで、もう許すことは決まっている。許す、と言ったのだから。その後はなんでも言える。その言葉の強さ、というものはあると思う。

 

「私は私を愛している」も然り。

「私は私を…」の間に、(今から"愛している"と言う予定ではあるが、実際はそんなこと思えてないし、言い続けたところで本当に変わるんだろうか云々)と考える時間ができてしまう。

 

私は愛している、と言ってしまう。それであれば、大切な人に向けて言うのと同じくらいの気持ちで言えるかもしれない。私は愛している。私を。


じゃあ、勝手に倒置法で言えばいいじゃん。と言われてしまいそうだし、実際そうなんだけど、それがわざわざの倒置法なのか、普段と何も変わらない文法なのか、はやっぱり違う気がする。

 

いや改めて英語を話すっていうのは、それだけで強くなれそうだな、と思ったり。

 

 

雑感想

 

この本は正直、読むぞ!と思って読み進められた訳ではなかった。1部と2部で結構内容が重複していて、私も1週間おきとかに読んでたので、2部では詳細に書いてある、とかもよくわからずに「あれ、なんか同じことめっちゃ繰り返してない?」と思って、続きを読みたい気持ちがあまりなかった。

 

何故かこの本に関しては栞も使ってなかったので、毎回「どこまで読んだっけなー」とページをパラパラ捲りながら、なんとなく、読んでいた。

 

そしてようやく辿り着いた3部は、引き込まれるように読んだ。ほとんど小説のようだったので。そして著者が彼女に振られてあまりにも落ち込んでいたので。

 

著者は死ぬ気で自分を愛してるし、それで健康にめっちゃ気を遣ってジムとか行ってるしで、「ここまでするのか…」とはなりかけたけど、とにかく「自分を愛している」と思えるようになるまで繰り返すのは続けてもいいかもな、とは思った。

 

死ぬ気で、と、愛しなさい、という命令形に、一瞬身を引いてしまうかもしれないし、その気持ちはとてもよくわかる。でも「自分を責めなくていい」とか「愛せなくてもいい」とか「気に負わなくていい」とか「〇〇しなくてもいい」「〇〇してもいい」という言葉が溢れる中で、結局ふわふわして、どうしたらいいの、ってなる部分もあるんじゃないかなと思う。どうしたらいいの!って。その中で「死ぬ気で自分を愛しなさい!」って言われるのは、それはそれで方向性を示してもらえて有難いのかもしれない。うん。

 

方法自体はシンプルなものばかりなので、気になった方は実際に読んでみてください。kindle版もあるよ。

 

最終的には、読んでよかったな、という本です。

 

 

 

 

 

それでは。

ローゼンでした!

 

 

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