ローゼンの雑記帳

ローランにして薔薇の末裔にしてソウルメイト!の雑記!

女性活躍について/「LEAN IN」

こんにちは!

ローゼンです。

 

最近本を読み終わったので

手放す為に備忘録を書きたいと思います。

 

「LEAN IN」

 

 

 

・本の紹介

著者、シェリル・サンドバーグgoogleマッキンゼーを経て現在はFacebookのCOOをしている。すごいキャリア。その中でも2人の子供を出産し、育てている。

著者のキャリアの中での実話や知人の体験談から女性活躍を取り巻く問題を統計的な数字を示しつつ提起している

 

・本を買った理由

何故こんなGAFAのトップが書いた
女性活躍の本

 

なんて私が読みそうもない本を読んだかというと。


数ヶ月前にたった一瞬だけ、
社内の女性活躍を考えるチームにいたことがある。

 

その時のチームメンバーが、読む予定だと紹介してくれたのがこの本だった。

 

途中まで読んでいたところでそのチームは解散となり
(その終わり方はあまりにも…いや、忘れよう)

 

読み進めるべき理由をなくしていたのだけれど、

 

この度本棚を整理して
まぁ、どうせ手放すのであれば1回読んでしまおう
と思って読み終えてみた。


・この本をお勧めしたい人

柄にもなくこういうことを書いてみる。

 

女性活躍を勧めたい経営者
 具体的なノウハウが書いてあるわけではないが、社会において女性がどのような性質を持っていて、妊娠・出産・育児・過程についてどのような悩みがあるのかを知ることができる

 

女性活躍推進チームのようなものに所属している人
 上に同じ

 

活躍している女性
 全てを完璧にこなさなくてもいいと思える
 既に活躍している女性が、新たな活躍する女性の登場を阻んでいる場面もある

 

活躍したい女性
 背中を押してもらえる。

 

結婚したい人・している人
 結婚相手と仕事・家庭に対する価値観を共有することの大切さがわかる


・印象に残った部分

“妊婦には駐車場の配慮が必要だということに、実際に自分が妊婦になるまでなぜ気づかなかったのかーーこのことに、私はいまにいたるまで困惑している。”(序章)


思い浮かんだ情景と共に最も覚えているのはこの話だった。


最後まで読んだ今、本を引用しようと思って何度ページをめくっても見つからない。
試しに最初から…

と思ったら、最初の話だった!!
びっくり。

 

最初の話でも、読み終わって覚えてるくらい印象的だった。

 

女性の社会進出や女性活躍を考える場に、とりあえず女性が呼ばれる。

 

でも、困りごとはそれぞれのライフステージによって違うし
それぞれに困難がある。

 

女性だからといって、女性の困難が全てわかるわけではない。

 

特に妊娠も結婚も経験していない若い女性は想像でしか語れない。

 

私である。

 

まぁ、わかることは一つある。
自分が妊娠している時に旦那が仕事で忙しくしてたら嫌だわ。

 

 

“同じテーブルに着こう”

女性は自ら謙遜してしまう癖がある。
この話は、著者のTEDのスピーチでも有名らしい。

www.ted.com

 


“多くの女性が、うかつな一言や不注意なふるまいで夫のやる気を削いでいるように思う”(8章)

 

結婚している女性が活躍する上で夫の理解が必要である。
そこで理解のある夫と家事を分担してみる。

 

食器洗いはあなたね。

 

しかし、まぁ、遅い。私がやった方が遥かに早い。

 

そこで
「時間かかりすぎじゃない?」とか
「これはこうやればいいのに」とか言ってしまうと

夢の家事分担生活は多分終わる。


ということが書いてある。

 

その前に、女性は自分に完璧を求めすぎる節があるという話がある。
それで、相手にも同じように求めてしまうんだろうなと思う。

 

とても思い当たる節がある。。。うん。
ので、最近は口出ししないように気を付けている。

そして自分も、完璧ではなくていい、と言い聞かせつつ…

 


“家の外で働く母親は、家の中で働く母親も重要な仕事をしているのだと認めよう。
家の中で働く母親は、家の外で働く母親の選択を尊重しよう”(11章)


女性活躍推進を妨げている要因の一つに、女性がある。
既に活躍している女性が自分の席を奪われまいとしていることもあるし
専業主婦からの非難もある、と。

 

それは、お互いがお互いにどこかで罪悪感を感じてしまっているから。
無言の非難を受けているような。

 

でも本当は自分の選択に心やすらかでいたいはずだ、と。
周囲から認めてもらいたい。だから、認め合おう。と。

 

なるほどこれが私に刺さったのは
今まさに私がその間で揺れているからだろうと思う。

 

どちらにも行こうと思えば行ける。

 

でも、どちらに行っても反対側から何かしら言われるのである。
し、自分自身でも少なからず後悔する。どちらを選んでも。

 

潜在的に、全ての可能性を掬いたいと思ってしまっているから。

 

だから私はまず、どちらも素敵なことだと認めないといけないんだな、と思った。

 

 

総括

結局、この本を読んでよかったと思う。


ただ私にはもうだからと言って何をするわけでもなく

自分の選択をするだけである。

 

この本とより深く向き合うのは今じゃない。
いや、いつか来ると決まった訳でもないけど。

 

これは主に「仕事をしたい!!」女性のためのものだ。
そしてそんな場所を作ろうとしているすべての人が読むべきものだ。

 

ので、今の私ではない。

 

ただ、家の中も外もどちらも重要で素敵な選択だというのは
少し嬉しかった。

 

手放すための備忘録。
うーん…いつかもう少し整理しよう。

 

 

ただ、プライベートを犠牲にして仕事をすべきだ、というのはやっぱり
もう違うんじゃないかと思う。

 

そのために理解ある伴侶を見つけなければならないと。

 

私は理解ある伴侶ではないので。

 

助け合えば、両立できるはずだろう。

それをやりもしないで無理だと決めつけるな。


少しでも家庭を優先させるような言動をすれば
仕事への熱意を疑われるんじゃないかと怖かった

 

という言葉があった。
まさしくこれだ。
そして実際にそのような場所である。生きづらいな。

 

だから。

納得のいく選択をしよう。

 

 

 

 

 

それでは。

ローゼンでした!

 

 

TOPへ戻る

 

 

知ってしまうということ。

こんにちは!

ローゼンです。

 


私は知的好奇心がある方だと思う。

とりあえず勉強するのは好き。

 

ただ、研究したい訳ではなくて
誰かにとっては既に明らかなものを
知識として知りたい感じ。

 

そしてそれを別の何かに応用したいとかもない。

ただ、知りたい。

 

だから結局ダメなんだろうなぁ。

ということは置いといて。

 


最近よく考えることがある。

 


一度知ってしまうと、知らなかった状態には戻れない

 

ということ。

 

そして

知ってしまうことで、何かとても大きなものを失ってしまう気がする

ということ。

 


いや、知ることが悪い、っていう訳ではなくて
もちろん、いいこともいっぱいある。

 

例えば彼氏は
失恋というものを知らない。

 

そしてこの先も知ることはないんだろうと思う。

 

それで少し、いわゆる普通の恋愛というものを
若干、見下している節がある。

 

漠然と彼氏がほしい、とか彼女がほしい、とか理解できない。とか。

 

私はどちらかというと、そういう一般的な
普通の恋愛をしてきた方だと思う。

 

失恋もたくさんした。

だからこそわかる痛みがある。
寄り添える誰かがいる。

 

うん。

 

だから、知っていることは、いいこともある。

 


ただ、なんとなく。

 

一度知ってしまうと

 

例えば、それを知ったときの驚きや喜び、感動のようなものは
もう二度と味わえない

 

っていうのが少し寂しく感じた。

 


Sound HorizonでNeinというアルバムがある。

 

涙では消せない焔

涙では消せない焔

  • provided courtesy of iTunes

 


これまでの物語のアナザーのようなifのようなアルバム。

 

Neinが出たときに、新規さんの質問があって。


「これまでのアルバムを聴いてから、Neinを聴くべきですか?」

 

これに素敵な答えがあった。

 

「ぜひ、Neinから聴いてみてください。
 私たちは今までの物語をもう知ってしまっているから
 そのアナザーとしてしか、Neinを聴けない。

 でも、まだまっさらなあなたなら、
 私たちとは違う角度でNeinを楽しむことができる。」

 


そういう感じだ。
知ってしまうということ。

 


また別の話で言うと

 

例えば、就活をした人なら向き合う、マナーというものがある。
数えたらキリがないくらいの。

 

私はマナーが苦手。

 

本来は、相手を敬いたいという心からの行動だったはずなのに
守らなければいけない、守ることが目的になってしまっている。

 

そして


マナーを知っているからこそ、
できていない人の行動が気になる。

 

うわ、あの人できてないわ。

 

って私は思いたくない。
誰も知らなければ、気にならないはずなのに。


ノックの回数がひとつ多かったり少なかったり
お辞儀の角度が違ったり
相手の名刺の扱い方

 

それが違って、一体誰が迷惑を被るんだろう、と思う。


だから、知らなければいいのに、と思う。

 

 


そしてまた別の話をすると

例えば。


何かをとても極める人がいる。
グルメとか。
好きだからこそ突き詰めるもの。

コーヒーとか。

 

コーヒーって拘ったらいくらでも拘れるんだろうなぁ。

豆の種類から、煎り方、ドリップ…


私は詳しくない。
味の違いもわからない。

 

深めてる人は本当に楽しそうで、羨ましいと思う。

 

でも、そんな人がよく言うのは

 

「もうコンビニのコーヒーなんて飲めない」

 

ってこと。

まぁ、各人の自由だから、いいけど

 

私は、たった100円のそのコーヒーで
幸せを感じられることを忘れたくないと思う。

 

私は、コーヒーの奥深さを知らない。
でも、だからこそ、
感じられる幸せがあるんだと

 

思ったんですね。

 

知識がたくさんあると、

嗚呼、あれはこういうことね。

これは、あれが、こうなっていて…

 

って、わかったりする。

 

でも、それがわからないからこそ

楽しめる物もあるんじゃないかと思う。

 

不思議な魔法だと思うか、化学式を書いてしまうか。

みたいな。

 


色々言って
全部違う角度な気もするけど

 

だから、何かを知らない、って言うことも
いいことだったりするんじゃないかなと思ったりした。

 

これから、知る喜びを感じられることがいっぱいある。
知らなくていいこともある。
今手にしているもので、十分幸せを感じられる。

 


別にこれからも
色々知りたいとは思いつつ
そんな考え方もあるかもなぁと
思った今日この頃でした。

 

 

 

それでは。

ローゼンでした!

 

 

TOPへ戻る

 

 

 

rosenstern.hatenablog.com

 

rosenstern.hatenablog.com

 

泣き顔も綺麗だと、せめて私は言いたい。

こんにちは!

ローゼンです。

 


昔、よく泣く私に

 

「涙は好きだけど、泣き顔は嫌い。」
「だから泣かないで」

 

と言った人がいる。

もう、10年も前の話。


彼がここに辿り着くことはないだろうし

着いたって、自分の発言など覚えてないだろうけど。


そして今の人は

「泣かなくていい」

と言う。


いや、私は
私が泣くことを受け入れているのだ、と最近気付いた。


そして、普段なかなか鏡を見ない私は
多分とても久しぶりに自分の泣き顔を見て

 

「嗚呼、意外と綺麗なんじゃない?」


と思った。

 

なんでこんなに泣いているのか全くわからない。

 

読んでいたweb漫画が
自分が行って欲しい方向に全くいかない。

 

すれ違いの悲劇は

 

花より男子みたいだ、と思ったし

 

嗚呼、そうだ

ロミオとジュリエットみたいでもある。


だからって
こんなに泣かなくても、とも思う。

 

PMSのせいかもしれないし

8ヶ月ぶりにライブで生音を聴いて
その音圧を浴びて

何かしらが感化されているからかもしれない。


1話を50円で

もう30か40話くらい読んだ。

 

これは紙の単行本があるらしい。
だったら絶対そっちの方が安い。

 

なんて考えながら

 

しかし泣きながら読み進めてしまう。

 

あと100話以上あるから
きっと最後は。
最後は結ばれるんですよね。

 

って思いながら

少しでも希望が見えないかと
見えるまで
と思いながら
読み進めてしまう。

 

しかしよく考えたら
あと100話もあれば

 

1回浮いてもまた沈むんだろうなぁ。


漫画とはそう言うもので

 

人生っていうのも
そういうものなんだろうな。

 


そう言えば昔

 

「涙の数だけ強くなれるよ」

 

ってめっちゃ歌ってた。

大人たちがよくカラオケで歌ってたし
小学校の時の全校合奏でオルガンを弾いたからだ。

 

まぁ、今なら
嘘なんじゃないかと思う。

 

私は本当に
どれくらい涙を流してきたんだろうか。


その数だけ強くはなってないと思う。

 

何回も何回も。
同じことで涙した。


むしろ弱くなっているんじゃないか。

 

嗚呼

昔あるアニメで

 

弱さになるから、と最愛の人を殺した秀吉がいたけど
(ちなみに私はその人に片思いをしていた慶次推しです)

 

今ならわかる気もする。

一人の方が色々と強いことはある。


ただ逆に
私が弱いからこの人と出会えたんだったら
それはそれでよかったなと思うし

 

一緒にいるからこその難しさも
一緒にいればなんとかなるでしょう


泣きながらでも。


どれだけ泣いても
涙に対する価値観が違っても
その違いにまた涙しても

 

その瞬間、少し悲しいだけ。

 

せめて私は、私の泣き顔が
意外と綺麗なことを思い出そうと思う。


“あらゆる瞬間に美がないことはありえない”


今年出会った、一番好きな言葉。

 


歌うようなリードギター
あの音圧と

 

夜更の静かさと
そこにある寝顔と

 

たくさんの本
白い月

 

私の泣き顔も
溢れる言葉も。

 

 

 美を集めて、毎瞬を。

 

 

 

 

 

TOPへ戻る

「占いはなぜ当たるのですか?」

こんにちは!

最近、LUNA SEA河村隆一を見ると

何故か鏡リュウジ先生を思い出してしまう

ローゼンです。

 

なんか、名前とか顔の雰囲気が…

LUNA SEA、だし…

 

はい。

 

「占いはなぜ当たるのですか?」

 

 


鏡リュウジ先生の名前は、結構前からちらちらと見たことがあった気がする。

ネットの無料占いとか
その広告とか。

 

その後、大学時代に唐突にタロットを始めてから
本屋の占いコーナーに行くと絶対目にする名前だった。

 

タロットの本もあるけど、おそらくどちらかというと占星術寄り
ということで私は
結局、別の人が書いた初心者向けのタロット入門書のようなものを
3・4冊くらい買った。

 

うん。

 

ついに鏡リュウジ先生の著書を手に取ったのは
この前?正確には覚えてないけど1年以内ではあると思う。


こちら


タロットの本。
これがとても面白かった。

 

この頃は私はどうにかシンボル学的なものを学ぼうとして
大全を買ったり

 

そうだ、占星術の文化誌、も買ったんだ。
これはまだ途中までしか読めてない。

 

本は買うんだけど、中々読めてなくて。
っていうのは
家にいるとひたすら編み物をしてしまう。笑

衝動を抑えられない。。。

 

ということで最近は本もあまり買ってなかったんだけど
書店でこの本を見つけて。


最近、それこそ編み物しかしてなくて
タロットもほとんど触ってなくて
でもやりたい気持ちはあって。

 

そして占星術の本を買ったりプラネタリウムを見たり
占星術にも惹かれはじめていて


「占いはなぜ当たるのですか」


というタイトルがとても強烈に飛び込んできた。

 


そして読み終わりました。

 

まぁ、まずひとこと言うと、
「占い」とは言え、本のほとんどは占星術について書かれています笑

 

それはそれで、占星術に興味があった私としてはとても嬉しかったし
思わずホロスコープを作って、眺めながら読んだ。

 

しかし本当に基礎の基礎、触り部分を大まかに紹介いただいているので
この本だけでは自分のホロスコープを読み解けず
モヤモヤしている・・・

 

勉強して読めるようになりたい、
けど早くホロスコープの中身を知りたい!!!
本家に鑑定してもらおうかな!!!

というテンション。


ちなみにこの本を何故読み終えられたかというと
1週間のうち1回は、
一人でカフェに行って、本を読む
という時間を作ったから。

 

本当によかった。幸せな時間だった。

 

いつもカフェで本を読む度に

 

これが、これこそが私にとっての現実であって

仕事や色々で悩んでいるのが夢なんじゃないか

という気分になる。

 


話を戻して。

 

本を読み終えて

 

一番は、さっきも言った
自分のホロスコープを読み解きたい

次は

 

やっぱりこの世界が好きだな

 

ということ。

あとは

 

自分の人生を振り返って、「占い」は
別にずっと身近だったわけではなくて。

 

むしろキリスト教の家だったのと
幼い頃は敬虔な信者であったのもあり

 

どこか運命論的な予言的な占いに嫌悪感と
でも興味もあり、それが背信なような気もして複雑で。

 

母親が熱心なクリスチャンで、占いが嫌いなこともあって

たまに漫画雑誌の占いコーナーを見るのは
気が引けつつ、こっそり。
母親にバレないように。

私にとって、占い、とは
そういうものだったな。

 

rosenstern.hatenablog.com

 

 


だからこの本を読んで
よくわからないけど、嬉しかった。

 

運命論的な側面だけではないということ。
偶然にも意味があるということ。

私がタロットの世界に入れたのも、
その偶然性に意味を見出すという立場を取ったからだった。

 


そして
自分の名前に「星」という字が入っていることを
改めて、何かしらを感じた。


星に惹かれるんだよなぁ。

 

そして神話。
と言ってもギリシャ神話しか知らないけど。


この世界だなぁ、って思っちゃう。

 

射手座は宗教、教育、哲学
って書いてて

 

なるほど、、、
やっぱり?

 

あーいや、もっとちゃんとホロスコープを読みたい。

 

けど私の太陽星座は射手座であるので
何かしらの関係はあるだろうな。


この世界で生きてみたい、と思う度に
いや、こんなに先達がいるんだから今更私ごときが…

と思ってしまう。

 

宗教も哲学もタロットも占星術
神話も、編み物も。

 

そういうとこで言うと
編み物は、アレンジだったり
糸や色の選択で幅が無限大だから
続けていられるんだろうな。


結局、占いはなぜ当たるのか、という問いは
んー、、、

上手く言えないけど
そもそも私がこの本を手に取ったことに意味があるような
結局はそういう感覚な気がする。


あ、この本のおすすめポイントは
まるで論文のように数多くの参考文献が記載されていることと

それでも、論文ほど堅くない、
とても人間味のある鏡リュウジ先生の文章である。

親しみやすかった。


この本に出会えてよかったと心から思えるし
もっと知りたい、と思える内容だった。


占星術に手を出そうかな?
いやでもまだタロットすら、まともに深められてないのに…

とか思って躊躇してたけど
こうして偶発的に扉が開いて垣間見れたのはよかった。


次は占星術の文化誌を読もうっと。

 

 

 

 

 

それでは。

ローゼンでした!

 

 

TOPへ戻る

ダイソーさんオンラインショップオープン!!

こんにちは!

ローゼンです。

 

 

私は最近ずっと編み物をしているのですが

そこでよく困ることがあります。

 

作品の途中で毛糸が終わってしまった!!!!

 

これは大変。

 

最近は特に週末しかお買い物に行かないので

週末まで作品の続きはお預け。

 

いざ、週末

ラベルを握り締め行きつけのダイソーへ…!

 

結構大きめのダイソーなんですけど

 

欲しい毛糸がない!!!!!!!!!!

 

 

これめっちゃあるある。

そしてとても困る。

 

大きいダイソーだからこそ、

売り切れたり棚替えが頻繁だったり…

 

そんな時は、家の近くの小さめのダイソーに行くと

意外とあったりするんですけどね。

 

 

でも毎回思うんです。

 

これオンラインショップで買えたらいいのになぁ。

 

特に毛糸って同じ種類のものが欲しいのに

ダイソーの毛糸はダイソーでしか売ってない。

ダイソーが取り扱いを辞めたら一巻の終わり。。。

 

百均の毛糸って基本PBなんですよね。

キャンドゥとセリアは同じメーカーさんが作ってるのも多いんですが

ダイソーはほとんど?全部?ダイソーなので、、、 

 

ネットで買えたら売り切れも心配しなくていいのに!!

 

と。

 

だからオンラインショップ作ってよ!!

って言う記事を書こうとして

念のためね、念のため検索してみたんですよ。

 

そしたら…

 

 

あった!!!!!

 

あるやん!!!!!

 

こちら↓

 

www.daisonet.com

 

 ありましたよ。

 

ということですごいテンションで覗いてみました。

 

毛糸!!!!!ください!

 

 

まずトップページを開いて。

検索窓もありましたが、とりあえず左にあるカテゴリ一覧を見てみました!

 

こんな感じ。

f:id:rosenstern:20200916131652p:plain



いいですね!

「ハンドメイド用品」

 これでしょ!

アイコンが毛糸玉と編み棒だし!

 

ということでハンドメイド用品を選択

すると…

 

f:id:rosenstern:20200916131851p:plain

 

このように出てきました。

 

 

…なるほど。

基本、大量買いなんですね…。

 

元々、本当の大口は数百個とかのレベルでは

ネットで受け付けていたみたいなんですよね。

 

なので、まぁ、最低の10個セット単位まで

引き下げました、ということなんでしょうか。

 

まぁまぁ、

大きな作品を作る時は10個セットで毛糸買ったりするので。

いいでしょう!

 

とりあえず毛糸の姿を拝まなければ!

 

ということでページをめくる。

 

めくるめくる。

 

…ないわ。

毛糸ありません。

 

試しに検索窓に「毛糸」って入れてみる。

 

何も出てこない。

というか画面が変わらない。

 

「メランジ」

って入れてみる。

 

画面が変わらない。

 

検索窓に「商品コード」って書いてる。

商品コードってなんだ・・・?

と思って試しに別の商品を開いてみたら

 

どうやらバーコードの下の数字(JAN)のようでした。

 

ということで、手持ちの毛糸のJANを入力してみる。

 

画面が変わらない!

というか今開いている画面が更新されるだけだ!

 

 

…おそらくこの検索は機能していません!

 

ラインナップにある商品のコードをコピペして

トップページから検索しても開かれなかったので。

 

検索機能自体が動いてないですね。

 

でも大丈夫。

検索できても、そもそも毛糸はまだラインナップされてない!

 

…悲しすぎる。

 

ダイソーさんにお願いするなら

 

・検索機能正常化してください

・毛糸もラインナップに入れてください

 (だってハンドメイド用品のアイコン編み物なのに!)

・1個単位は厳しいでしょうか、、、

 

ということですね。

 

まぁ、オンラインショップがあるよ!

っていうことだけのご紹介になりましたね。

 

「オープンしました!」

って書いてあるので

これからもサイト自体改良されていくだろうし

商品も増えていくことでしょう!

 

何か10個単位で欲しい商品があれば

検索ではなくて

カテゴリから頑張って探してみてください笑

 

 

それでは。

ローゼンでした!

 

 

TOPへ戻る

物書き2

こんにちは!

ローゼンです。

 

 

私のPCには、書きかけの小説がいくつもある。

 

中には、もうどこかに消え失せてしまった物もある。

また読みたいと思ってももう読めないというのは切ない。。

 

小学校6年の頃から、今までだから

13,4年間くらい

 

書き上げた小話もあれば

書きかけの長編もある。

 

私はいつから小説家になることを諦めたんだろう、と思う

 

覚えてない。

けど、自分には文才がないと感じたのかもしれない。

 

確かに文才はないと思う。

 

でも書きたい話がたくさんある。

あるけどなかなか完成しない…何故、、

 

だから文才がないからだ。

あればスラスラと

読みたい話が書けるんだろうか。

 

文才がないと思う割には

私は私の文章が好きなんだなぁ。 

 

 何故か。

誰にも伝わらないんだけど。笑

 

中2か中3の時に書いた短編を

今本当に読み返したい。のにどこにもない。

 

多分大学の時に使っててぶっ壊れた

1TBのハードディスクに入ってたんだろうなぁ。

どうにかして復活できないものか、、、

 

とりあえず

突然、何らかの理由で数ヶ月の空白が空いたら

 

最近のトレンドで言うと

編み物に没頭したり

タロットを極めたり

このブログをグレードアップしたり

しようと思うだろうけど

 

突然、書きかけの小説を書き上げてみたくなった。

(とか言って書かなかったりして)

 

私が書きたい話と言うのは

大体、私の実体験になるんだけど。

 

実体験に大幅な脚色を加えて小説にする。

 

たくさんの思い出は

一冊一冊の本だと思ったりする。

 

たまに取り出して読み返しては懐かしみたい。

 

それを本当に本にしてしまおうと言う。

 

今書き上げたいのは、

大学後半の恋愛について。

あれは大作になりそう。

 

そう言えば中2か中3の時は

本にもできない文量の小説を

出版社に送ったこともある。

 

とても丁寧な添削と言うか、感想やアドバイスが返ってきて

感動したことを覚えてる。

(最終的には文量が足りないので、○枚以上でお願いします、と言う感じだった)

 

結局私は物書きになりたかったし

今もどこかではなりたいと思ってるんだろうなぁ。

 

rosenstern.hatenablog.com

 

 中2か中3の時に出版社に送りつけた小説も

実体験に基づくものだった。

 

田舎の小学校から私立の女学院中に進学して

地元のような友達が作れずに

仲良くなったと思った友達にも裏切られて

疎外感を感じていたような。

 

あの小説の中の私は、比喩ではあるけど

"暗闇の湖"

に沈んでいく。

底のない、深い湖。

 

改めて考えると

「暗闇の湖」

って何となくヘンテコだけど。

その語感は今でもしっくりくるくらい、どこかに深く刻まれている。

 

しかし何故湖だったんだろう、とふと思った。

 

湖…

 

海でも川でも池でも、ただの水底でもない、

「湖」

 

海ほど開けてなくて、広大な物ではなくて

川のように流れもしない

かと言って池のように小さくも浅くもない

 

湖。

ある程度の広さはあるけど、確かに囲まれていて

逃げ場のない

深く、暗い

流れもない、どんよりとした

沈めば浮き上がれないような

 

…なるほど。

これは後世の人はいくらでも考察して

解釈のしようがあるな。

 

当時の私はそんなに深く考えてなかったはず。笑

 

ただ、助けて、って言うのを

そうやってお話にするしかなくて

そしてお話の中で、地元の友達に助けてもらってた。

 

そんな時代もあったなぁ。

 

とてもつらつらと書いてしまった。

 

とにかく私は

せっかく思いついた構想を

何とか形にして残したい。

 

し、誰かに読んでみて欲しい。

 

あなたは、このお話をどう思いますか。

 

私の生を。

 

 

 

 

それでは。

ローゼンでした!

 

 

TOPへ戻る

人間。命に貴賎はない・・・?

こんにちは!

ローゼンです。

 

突然ですが命について話してみようと思います。

↓はこのブログにも載せている小説の一部です。

 

小説の始めはこちら

rosenstern.hatenablog.com

 

まぁ、今回は下に書いてる部分だけでもいいかと。

とりあえず短いお話を載せて、その下に色々思ったことを書いてみようと思います。

 

 

****************

 

雨の降る夜、少女は唐突に涙を流した。
布団の中で、人知れず。
思い出して、しまったのだ。
過去の過ちを。
 
 
木漏れ日の眩しい朝。
少女は部屋でひとり机に向かった。
恩師に手紙を書くことにしたのだ。
 
 
 
親愛なる先生へ
お元気ですか。私はそこそこ元気です。高校2年になりました。
本当は将来のこととか、相談したいのですが、今はそれよりも話したいことがあります。
 
先生。8年前のいつか、私をひどく叱ったのを覚えていますか。
 
先生は、それまでのどの先生よりも、生物の面白さを、命の大切さを教えてくれました。
年中、何かしらの生き物をクラスで育てていました。
そんな中、十数匹の小さな虫を無責任に拾ってきた私たちに、
「お世話をしてみなさい」とひとつの虫かごを貸してくれました。
とても、わくわくしたのを覚えています。
私たちは嬉々として虫かごの中に土をいれ、適度な大きさの石と葉っぱを拾ってきて土の上に置きました。土を少しの水で湿らせ、虫たちを中にいれました。
蝶のように変態する種類ではありませんでした。成長を楽しむような生物ではありませんでした。
それでも、当時の私たちにとっては、プラスチックケースの中で小さな何かが動いている、
それだけで面白いものでした。
毎日、水分が不足しないように、少しずつ水を加えていました。それは私の担当でした。
 
拾ってきてから数日後、友達と談笑しながら、その習慣と化した仕事を私は果たしたはずでした。
ほんの少し、間違えたのです。
古い小学校の、なかなか回らない蛇口に、思わず力をいれてしまった、それだけです。
勢いよく流れ出した水に、私は慌てて蛇口を逆方向に捻りました。
たった一瞬の出来事でした。
激しい水流が、水圧が、彼らを襲いました。
手洗い場に土が流れてしまうことを躊躇しつつ、いれすぎた水を出しました。
しかし手遅れでした。
蛇口を捻った私の右手が、十数匹の虫を死なせてしまいました。
 
当然、先生は私を叱りました。しかし、当時の私にとって、それはただの過失でした。
何故そんなに怒られなければならないのか、不満にさえ思っていました。
 
 
その出来事を忘れ、8年が経ち、様々な経験をしました。
母親を亡くした友人、自分にとって大切な人の死、
世界に溢れる争いと、身近な友人の交通事故による死。
生命が失われるということ。奪われてしまうということ。
ひとつの死が与える影響と、今、其処に生きているということ。
 
私の中で様々な葛藤がありました。
事故死した彼はまだ生きたかったはずです。彼には明るい未来があったはずです。
運命はなんて無慈悲なのでしょう。
そうして、私は、私の罪を思い出したのです。
 
あの時私は、たくさんの命を、この手で、奪ってしまった。
まだあの小さな森で生きていたはずの彼らを、無責任にも虫かごに閉じ込め、
そしてその命と未来を奪ってしまった。
なんて、なんて恐ろしいことをしてしまったのでしょう。
 
先生、先生があの時私をひどく叱った理由を、私はやっと理解したのです。
その事の大きさに、私は震えました。
そうしてもうひとつ、思い出したのです。
 
私が卒業する前に違う学校へ行ってしまった先生は知らないかもしれません。
あの小さな森は、小学校の横にあった小さな森は、もうありません。
 
私が卒業した後に、コンクリートで埋められてしまいました。
あの森には、どれだけの生命が在ったのでしょうか。
自身の罪を自覚した今、それを思わずにはいられません。
 
命は、大切なものです。
そして、貴賎はありません。
では何故、あの森はなくなってしまったのですか。
木を倒し、土をコンクリートで埋めたのには、どんな大義名分があったのですか。
先生、だから今、貴方の言葉が響くのです。
失われた命を思うと涙が溢れるのです。
 
彼らの命は、
人間の都合で「仕方ない」と、諦めた苦笑で一蹴されるようなものなのですか。
 
 
 
そこまでを書き終えて、少女はおもむろにペンを置いた。
雨上がりの高い湿度と窓からの日差しで部屋は蒸し暑い。
彼女が、言葉にできない感情をどう表わそうか思案していると、視界を黒い影が横切った。
 
暑さと、不快な羽音、五月蝿く動き回る影に彼女は苛立った。
そして側にあった手頃な箱を掴み、立ち上がる。
何も考えずに箱を持った右手を振り回す。
影を追いかけ、狙って右手を振り下ろした。
動かなくなった影に、安堵する。
 
ふう、と一息ついた彼女は、床の上の蝿をちらと見た。
息を飲む。自らの右手を見、そして机の上の手紙を眺めた。
 
 
外では蝉の声が夏の訪れを告げていた。
 
 
********************************
 
 
っていう話。
時期もちょうど同じくらいだなぁと思って思い出しました。
 
最近、こんなにも何かしらに対して殺意を抱いて
それを口にしたことはない。
 
消えて!!死んで!!!!
 
って。
去年はいなかったのに。コバエ。
 
もう本当にいや。何もしたくなくなる。
泣きたいくらい嫌。
 
生まれて3日後には数十匹産卵とかパンデミックじゃん。
 
 
っていう感情を抱いて、
上のお話を思い出した。
 
よく思い出す。意外と好きだわ、この話。
友達には「先が見えるよ」って言われたけど
まぁ、それでも好き。自分で作ったけど。笑
半分実話で半分作り話。
 
 
よく思い出すのは、私が虫を殺すってだけじゃなくて
命、について語る人が周りにたくさん?いるからだろうなと思う。

曲がりなりにもキリスト教関係者だったので。笑


 
少女が手紙に書いた「命に貴賎はない」というのは
どこまでが本当なんだろう、と思う。
 
五月蝿く飛んでる黒い小さいやつと
この約30万で購入されたスピックスコノハズクと
 
本当に重さが同じ生命なんだろうか。
 
なんか繁殖率的には…とか考えたり。
 
まぁこのスピックスコノハズクも毎日ウズラやラットを食べているんですが。
 
 
って言い出したらキリがないんだろうけど
生命っていうのは何かしら他の生命を奪って生きているんだろう
それが本能なら、争いも致し方ないのか。
 
 
虫は「目障りだから」殺してよくて
人は「目障りだから」って殺すのはいけないこと
 
って。
 
それはもう生命じゃなくて社会の問題なんだろうな
 
いやわからない。
そういう人々の中には、虫すら殺さない人がいるのかもしれない。
 
食べる為なら、生きていく為ならOKとか
いや食べ物も草食で…
  
いや、私的には
そこに生えてる草も生きてると思いますよ。
 
 
結局、人間にとって人間が至高で
尊ぶべきもので
命、って言う時は基本的に人間で
 
(たまに普通に生活してるペット許さない派とかいるけど)
(結局その主張にも貴賎が存在してる)
 
 
人間だ。
この文明的で文化的な社会を継続していくには
人間の命は大切で、殺し合ってはいけない、ということにしないと成り立たない。
(でも結局そこにも誰かの中には貴賎が存在しているからこそ争いは絶えない) 
 
 
というところでだから私は
色々を辞めたのかもしれないな。いつの間にか。
 
 
別に虫も草木も殺さないでください!
とかいう主張ではなくて
私が考える命、すべからく平等であるべき命、の中には
そういう奴らもいて
だから私は一概に大切にはできないと
考えている次第です。
 
 
ブラン(スピックスコノハズク)が虫を食べてくれたらいいのになぁ。

 

 って書いたところで

ここでなんと

 

「食物が連なる世界」を思い出すんですね。

食物が連なる世界

食物が連なる世界

  • provided courtesy of iTunes

 

これロックなんだ。笑

我らがSound Horizonです。

 

また別のことを考えていて、改めてこの曲の歌詞を見てみたんですよ。

 

そしたら。

 

《誰かの死を糧にするモノ》

 

っていう歌詞で、「いのち」って歌うんですよ。

いやまぁ、食物連鎖の歌だからそうなんだけど

でも「いのち」にその文字列を当てるのが、

さすがRevo…

 

っていうか若干嬉しかった。

そうよね、そうよね。って思った。

 

全て廻っているのか。

 

まぁ、うちがとても綺麗だったら

あいつらも生まれてこない命だったのか。

 

殺されても、生まれた意味はあったか?

 

 別に何も、答えは出てない。

でもやっぱり、人間ばっかり「命」が注目されるから。

 

命、じゃなくて、人、って言ってくれたらな。

 

キリスト教関係の人にご意見伺いたいけど

投稿したFBは誰からもリアクションをもらえなかった。笑

 

 

それでは。

ローゼンでした!

 

 

TOPへ戻る

 

 

rosenstern.hatenablog.com